2009年2月1日日曜日

(敵も味方も分からぬ)バクダット現場を歩く

バクダットでは全世帯の4割が、家族のだれかを失った。そして、シリアなど隣国に220万~240万人が脱出、277万人が国内避難民となった。その難民の帰還が今、ゆっくりと進んでいる。(2、3年前よりも治安は格段によくなった。客もふえたよ。)衣料品店を経営するイブラヒム、アリ(70)は屈託のない笑顔を見せた。だが、、、、(獄中の中)誰もが現状を肯定しているわけではない。バクダットで最も治安が不安定なサドルシティーの入り口にあたる東部のパレスチナ通りでは、二重のコンクリート塀で道路と遮断された食料雑貨店の奥で、ムンサル、シハブさん(45)が不機嫌な顔を見せた。(これが普通の生活を言えるか?塀のおかげでお客は車でお店の前まで来られない。牢獄の中で商売しているようなものだ)不満は物価の高騰、公共サービスの欠如にも向けられる。電力供給は1日6時間。あとは自家発電機に頼るしかない。燃料の軽油や灯油は旧政権時代の70倍にも跳ね上がった。シハブさんは(発電機の維持と燃料代に月700ドルかかる。儲けなどない)と嘆いた。そして、、、、(いびつな自由)、激しい宗派間抗争は、街をコンクリート塀と検問所で寸断し、生活を不便にしただけではない。人の心性をも変えたようにも見える。今、この街はスンニ派とシーア派が混在して生活をしている。フセイン時代は、政権批判をしなければよかった。今は隣人にさえ何もしゃべれない。誰が敵で誰が味方なのか、分からないから、そんな中、、、(出稼ぎ兵士)首相府や議会、米大使館などがあるバクダット中心部の旧米軍管理区域(グリーンゾーン)に入るには、7回身体と持ち物検査を受ける。バクダットで最も気が休まったのが、この検問を通る時だ。鉄筋で鉄条網に囲まれた場所の(安心感)のせいではない。検査担当官が、遠来の客に対する不思議な親近感と笑顔を見せるからだ。検査担当官は、米兵でもなければ、イラク治安当局でもない警備を請け負う欧米の軍事警備会社の下請け会社と契約している、中南米やアフリカ出身の出稼ぎ兵士たちだ。手のひらの火薬反応まで調べる首相府では、フィリピン人女性警備員が検査だけではなく案内までしてくれた。同行したイラク人によれば、彼らの給料は(安い)のだという。世界有数の危険地域に職を求めてやって来る人々のたくましさと、それを促す世界の貧富の格差。グリーンゾーンは、そんな現実ものぞかせる。

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