2007年2月27日火曜日

企業不祥事

(不祥事は、増えたのではなく バレタのよ)
第一生命保険が公募している(サラリーマン川柳)にこんな一句があった。
事件や事故などの企業不祥事は今に始まったことではない。ただし時代は変わった。不祥事が発覚した後の対応を誤れば、たちまち会社の存亡にかかわるようになった。賞味期限切れの牛乳うを使った洋菓子を出荷すなどしていた大手菓子メーカー、不二家が格好の反面教師となる。同社は社内調査で問題を発覚しながら公表せず、マスコミから問い合わせを受けて初めて記者会見をした。当初は責任をパート従業員に押し付けようとし、後で組織的問題であることを認めた。従業員から内部告発が相次いだ。ずさんな衛生管理の実態が五月雨敷式に後から後から明るみに出て、最終的に社長が辞任に追い込まれた。
対応のまずさが消費者や販売業者の怒りに油を注ぎ、創業97年の老舗は自力再建をあきらめ、同業の山崎パンの支援を仰がざるえなくなった。(逃げるな、隠すな、嘘をつくな。広報とは危機管理と心得るべし)
記者会見は一度は開かなければならない。ならば、すべてを公表して一度で終わらせよう。下手に隠したり、嘘をついたりするから、いつまっでも新聞に続報がでる。

2007年2月26日月曜日

無学歴 56歳 いまだ歌手になれず

正直、自分のことを書くのは、非常に恥ずかしい。
昭和26年山口県熊毛郡上関という漁師町に生まれる。たしか昭和42年頃中学校卒業した事を覚えている。今でも時々夢に見ることがある。 寒い雪の降る日に、二女、紀世子に見送られながら、ボストンバック1個持って、漁師にさせられることがいやで、いやで、 逃げるように家出した事を今でもはっきり覚えている。
私の田舎は小さな漁師町で、浜辺から100mも離れていない所に実家があり、5人兄弟の末っ子である。親父は聴覚障害者の為、小さい頃から手話で話す。親父から、信、お前は卒業したら兄貴、六三と2人で家の後を継げと決め付けていました。知人を頼り兵庫県伊丹市に大手タイヤメーカーに就職、たちまち居所がばれて、親父に言われお袋が連れ戻そうと何度も上京。たまらなく、2年ほど働きお金を貯めて、東京に上京、その日からコック見習いで皿洗いの仕事。
正直私は歌手になることが夢でしたが、そこからが苦労の連続で働きつずけて40年、いまだ歌手になれず、千葉県新松戸で不動産屋をやっています。(笑い)
団塊の世代いまだ何も想像せずという言葉があります。育った環境、家庭に大きく影響があるせいか、今は亡き親父は、
聴覚障害で、二女、紀世子は、重い心臓病を長年患い、私は、自分の出来る範囲、社会福祉事業を、今までの経験を生かし社会に貢献したいと考えている。次回、機会があれば私の面白い失敗談をブログにしてみたいと思います。


2007年2月25日日曜日

(醍醐味)物事を行う上で得られる深い味わい、真の喜び

(ホームランこそ野球の醍醐味だ)とか、(ゴルフの醍醐味は自然の中でいい空気が吸えること)など、何ものにもかえられない楽しさ、真骨頂、妙味を(醍醐味)と表現します。(涅槃経)という釈迦の晩年の経典に、(五味)という譬えが説かれています。
それは、(牛乳を精製していくと、その味は、乳味(にゅうみ)→酪味(らくみ)→生酥味(しょうそみ)熟酥味(じゅくそみ)と、しだいに美味なるものに変化し、5番目の最後の醍醐味になると、最高の味となる。その最高の味こそ涅槃の境地である。というものです。具体的にどのような味かは推測の域を出ないのですが、現在のバターとチーズを合わせたような味ではないかと考えられています。さて、これは何を言おうとしているのでしょうか。(醍醐味は)、悟りを開くことによって得られる喜びは至上の味わいである、という例えに使われます。そこから物事を行ううえで得られる深い味わい、喜びを醍醐味と言うようになったといわれています。私たちが(仕事の醍醐味を味わった)とか、(人生の醍醐味を知った)とか言っていても、実は(五味)で言うと、乳味や酪味のレベルでしかないのかもしれないのです。本当の(醍醐味)とは、悟りの世界で悠々自適の人生を歩んでいくこととともいえるかもしれません。ビジネスでいえば単にお金が儲かったというのではなく、ビジネスにおける行為によって社会に貢献する、あるいは人類の発展に寄与することで無上の喜びを味わうとき、といえるかもしれません。なかなかそこの境地に至るのは大変なことですが、これが社会にとって、いい影響をもたらすのだろうか、?と自問自答することで習慣付けることで(醍醐味)に近つくことができるかもしれません。余談ですが、醍醐味はインドの語で(サルピス)といい、純粋なバター状のものだったそうですが、このサルピスにカルシュウムを加えたものが、日本でもおなじみの(カルピス)だということです。

2007年2月24日土曜日

立場が変わって見えるもの

人の気持ちを考えなさい。
悪さをしたときなど、子供のときによく言われたセリフだろう。しかし、それを実践できている大人も意外と少ないのではないか。その立場にならないと相手の本当の気持ちや痛みはわからないのは事実だが、想像することは充分可能だろう。他人の気持ちや痛みをまったく想像できない、あるいは意図的に無視する人たちが増えてきているように思える昨今、子供の時に親から教わった(人の気持ちを考えなさい)という言葉の意味をかみ締めたいものだ。個を大事にすることと他人を蔑ろにすることは決して同義ではない。