2012年3月20日火曜日

フェイスブックで戦争回避。

イランの核開発疑惑に対し、軍事攻撃も辞さない姿勢を示すイスラエル。両国間に対話はなく、非難声明の応酬が続くばかりだ。この状況に疑問を抱いたイスラエル人男性がインターネットの交流サイト(フェイスブック)を通し、イランに向けて平和のメッセージを発信した。
両国間には電話が通じない。政権の対立のせいで、通信手段が存在しないのだ。一般市民であるロニーエドリーさんは「この戦争はおかしい。相手側に声を直接届けたい。」と、ただその言葉だけを伝えたかった。反響は凄く、瞬く間に広がった。
日本における日朝関係も同じ。長い間、両国間で緊張が続く。4月初めに長距離弾道ミサイルを発射すると言う。この国はまだ、インフラ整備が遅れていて通信手段が無いに等しい。相変わらず北朝鮮外交に振り回されて近隣諸国が戸惑うばかり。何か良い手はないものかと、フェイスブックが使える環境になるにはほど遠いか。

2012年3月11日日曜日

尊い命、あれから1年。

地球の裏側、中東アラブではイランの核開発による問題でイランとイスラエルが睨み合っている。一触即発状態だ。日本では東日本大震災1年を迎える。巨大地震、大津波による震災被害は数えきれないくらいの尊い命をも奪った。
使い慣れた言い回しにも嘘がある。「時は流れる」という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる。時計の針が進むと時間になります。後に進むと思い出になります。寺山修司は思い出の歴史と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であった。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることはありえない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。今も午後2時46分を指して、時計は止まったままである。
思えば17年前、阪神淡路大震災が起きた。どれほどの尊い命が失われたか。
戦争で尊い命が奪われ、震災で尊い命が失われる。人間による争いで戦争に突入することなんて許されない。愚かとしか言いようがない。

2012年3月4日日曜日

なぜ、止められないシリア軍弾圧。

国際社会はいったい何をしているのだろうか、又、国連はなぜ止められないのか。
シリア軍は離反者40人以上を処刑したと言う。悲しいかな、ここには世界各国事情がある。アメリカ、日本、ヨーロッパは経済制裁に踏み切るも、反対する国がロシアと中国。国連は決議出来ないでいる。
一方、シリア国内は宗教対立がはっきり出て、アサド政権は引き下がれない。報復の連鎖である。市民がいつも犠牲となる。自由シリア軍が結成されるも政府軍によって一方的に砲撃にさらされる。現地の活動家によると、食料や医薬品の不足はますます深刻化し、住民らは雪解け水や雨水を飲んでしのいでいると言う。これからどうなるのか心配だ。
何時も思うが日本政府は何ができるのか、話題にもならないし、相変わらず政局争いをしている。日本これでいいのか。