苦労して逃げた悲惨な引き上げ、主婦 山口 和子 71歳(札幌)
私たちは終戦まで満州(現中国北東部)の北部、旧ソ連に近い所で暮らしていた。戦後、日本への引き上げは苦労の連続だった。敵の戦車が来て麦畑に隠れたことがあった。母が(ここで離ればなれになるより、みんなで死のうね)と言い出した。だが、腰に下げていた短刀を取り出そうとしたら、鞘しかなかった。逃げ回っているうちに短刀が落ちてしまったのだろう。おかげで死なずにすんだ。あちこちの家が燃えていて、あたり一面、火と煙で覆われ、昼だか夜だか分からないような所を歩いた。壊れた兵舎にも泊まった。夜空を眺め夜霧にぬれながら寝た日もあった。食べ物がなく、妹たちは(白いご飯のおにぎりが食べたい)と言って死んでいった。次は私の番だと言われたが、私は戦争の方が恐ろしく、死なんかちっとも怖くなかった。だが、自分の子供がひもじい思いで死んでいくことに、母はつらかったに違いない。日本に着いてからも大変だった。結局、母は73歳で妹たちの所へ行った。戦争というと、今でも満州からの悲惨な引き上げ体験を思い出す。
地球裁定、言葉にならないほど、戦争で悲惨な経験をされた方も多い、しかし、我々人間は又同じ事を繰り返している、いつの日からか、目に見えない戦争に突入しているし、憎しみの連鎖が止まない、核問題、温暖化問題も心配で地球も住みにくくなっている。
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