2007年4月20日金曜日

父の人生に向き合う、団塊ジュニアの見た背中

東京都世田谷区の会社員、柴田裕康さん(30)は3月中旬、埼玉市の実家を訪れ、切り出した。(1年後に結婚しようと思っている)。とたんに母と妹から(どんな人?)(仕事はなにをしているの?)と質問攻めに。父の昌典さんは黙っていた。まだ両親に相手の女性を合わせていないが、その前にきちんと報告したかった。結婚して家庭を持てば、本当の意味で親から独立し、別の家で生きていくことになる。(だからこそ、自分の家庭のことをもっと知っておきたい)と思った。
国鉄、JRと鉄道マンとして歩んだ40年間。父は郷里に伴い、東京に移り住んだ。長男の父が郷里に戻らず、東京に根を張ったのは、どうしてなのか。どんな思い出働いてきたのか。聞きたいことは山ほどある。大学時代、東京都北区の赤羽駅近くの居酒屋で、高架化工事の苦労話を聞いた。いとこの結婚式で盛岡に向かう車中では、新幹線が福島駅に差し掛かる直前、
(おまえぐらいの年齢の時、ここで住民説明会をやったんだ)と話してくれた。一緒にお酒を飲む年齢になり、父の人生に触れる機会は増えたが、まだ知らないことは多い。裕康さんは2年前、6年間勤めた都銀を辞め、ベンチャーキャピタル(VC)に転職。
入社4年のころにも(会社を辞めたい)と考えたことがあったが、当時は次の仕事も決めずに退職しようとして、父に(逃げるな)と一喝された。昌典さんは(実は自分も辞めたいと思ったことがある)と打ち明ける。ちょうど今の裕康さんの年齢と同じ頃。
東北新幹線建設のため、地元説明会に駆けずり回り、地元で怒鳴られ、上司に怒鳴られ)という毎日に嫌気がさしたという。
だが、そんな経験も息子には最近まで話さなかった。(俺たちは競争、競争の中で選別されてきた)と語る団塊の世代の昌典さんには、裕康さんは、苦労を知らずに大学まで進み、初めて壁にぶっかったように思えた。(ここが辛抱のしどころ)。やさしい言葉はかえって毒になると考えた。(今親父に感謝している)。裕康さんが知りたいのは、まだ聞いていない父の本音。
これからも時間が許す限り、杯を重ねたいと思う。このような光景は、どこにでもあるようだが、息子が成長して行くことに、親父はとってもうれしい。

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