2007年4月13日金曜日

病を克服、5000m級の山に挑み続ける、伊藤八重子さん

それまで富士山より高い山に登ったことはなかった。初めての5000m級で初めての海外の山だったのに高山病にもならなかったし楽々行けちゃたの。伊藤八重子さん(69)は61歳でヒマラヤのカラパタールの頂上にたった。その時の感想だ。
2年後、今度はアフリカのケニア山とキリマンジャロの頂上にいた。(海外はポーターが大勢いるので重い荷物を担がなくていいから楽なの。10人のパーティーだったが50人ほどのポーターが付いた。季節は1月でも赤道直下、炎天下の熱さは強烈だ。それが夜になると氷点下の寒さ。そのうえ空気はものすごく薄いという過酷な環境。(でも私、楽でしたね)(キリマンジャロのてっぺんは一面、青い氷で覆われてすごい景色、夢の世界だった。行ってみないと分からないすごさよ)伊藤さんは本当に楽しそうに話す。ごく普通の主婦の伊藤さんがここまで山とかかわりを持つことになったきっかけは55歳の時、母親が倒れ介護が必要になってからという。(何とかなるまではこのままで頑張ろうと覚悟していたの。そうしたら母が気分転換に登山クラブに入りなさいよって。)背中を押される形で地元の登山クラブに入会することにした。初登山は新メンバー歓迎の榛名山だった。
(雪解け道で大変だったのに、私スタスタ歩けたの。)そういえば足は子どもの頃から丈夫だった。翌年は北アルプスの縦走。
それからは山に夢中になり、山に恋をした。好きな山で自分はどの程度歩けるのか、限界を知りたくて夢中になった。気がつくと年に20数回も登山をしていた。そんな折突然、胃がんの宣告を受けた。自覚症状はまったくなかった。胃の3分の2を切除。ショックだったがなんとしてももう一度山に登りたい。手術の翌日から点滴うぃしながら歩く訓練を始めた。10年後、完治した。
これも山のおかげと感謝している。退院後は(生きているからこそ好きな山に登れるのだ)そう思うようになり海外への挑戦も始めた。(主人も私と同じように思っているみたいで、わがままを黙認してくれています。病気さまさまですね)と笑う。3年前にはK2のバルトロ氷河を歩き続けた。(苦しければ苦しいほどいいのよ。力を出し切って歩いたという実感がたまらないの。)
まだ18kgの荷物を担いで雪山を歩ける。次はあの山に行こう;病は気からと言うが、身近にこのような人がいるだけで励まされる。

0 件のコメント: