2007年2月26日月曜日

無学歴 56歳 いまだ歌手になれず

正直、自分のことを書くのは、非常に恥ずかしい。
昭和26年山口県熊毛郡上関という漁師町に生まれる。たしか昭和42年頃中学校卒業した事を覚えている。今でも時々夢に見ることがある。 寒い雪の降る日に、二女、紀世子に見送られながら、ボストンバック1個持って、漁師にさせられることがいやで、いやで、 逃げるように家出した事を今でもはっきり覚えている。
私の田舎は小さな漁師町で、浜辺から100mも離れていない所に実家があり、5人兄弟の末っ子である。親父は聴覚障害者の為、小さい頃から手話で話す。親父から、信、お前は卒業したら兄貴、六三と2人で家の後を継げと決め付けていました。知人を頼り兵庫県伊丹市に大手タイヤメーカーに就職、たちまち居所がばれて、親父に言われお袋が連れ戻そうと何度も上京。たまらなく、2年ほど働きお金を貯めて、東京に上京、その日からコック見習いで皿洗いの仕事。
正直私は歌手になることが夢でしたが、そこからが苦労の連続で働きつずけて40年、いまだ歌手になれず、千葉県新松戸で不動産屋をやっています。(笑い)
団塊の世代いまだ何も想像せずという言葉があります。育った環境、家庭に大きく影響があるせいか、今は亡き親父は、
聴覚障害で、二女、紀世子は、重い心臓病を長年患い、私は、自分の出来る範囲、社会福祉事業を、今までの経験を生かし社会に貢献したいと考えている。次回、機会があれば私の面白い失敗談をブログにしてみたいと思います。


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