2012年3月11日日曜日

尊い命、あれから1年。

地球の裏側、中東アラブではイランの核開発による問題でイランとイスラエルが睨み合っている。一触即発状態だ。日本では東日本大震災1年を迎える。巨大地震、大津波による震災被害は数えきれないくらいの尊い命をも奪った。
使い慣れた言い回しにも嘘がある。「時は流れる」という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる。時計の針が進むと時間になります。後に進むと思い出になります。寺山修司は思い出の歴史と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であった。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることはありえない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。今も午後2時46分を指して、時計は止まったままである。
思えば17年前、阪神淡路大震災が起きた。どれほどの尊い命が失われたか。
戦争で尊い命が奪われ、震災で尊い命が失われる。人間による争いで戦争に突入することなんて許されない。愚かとしか言いようがない。

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