2008年6月10日火曜日

(みんな俺を避ける)

(アキバ)を標的に、男女7人の命が奪われた8日の無差別殺人事件。凶行直前を予告した携帯電話の掲示板は、劣等感や孤立感が仕事への不満、社会への恨みへと変質する姿を映し出す。(無差別の殺意)の背景を探る。
地球裁定
この人間の幼少期、又、社会に出てきての足取りが気になる。親はどのように育てたのか、又、育てられなかったのか、人間社会には3つの生き方がある。いじめる者、いじめられる者、いじめる事もしないし、いじめられる事もない者、年齢はまだ若い
最近、誰でもよかったと言う殺人事件が多い。他人を巻き込む、凶悪殺人を犯すことがなんとも思わない人間がが増えている。被害者はたまらない、自分で勝手に死ねと言いたいところだが、自分1人ではしに切れない。残酷な言い方かもしれないが、江戸時代には、敵討ちがあり、加害者は打ち首になりさらし首とされた。このような人間には凶悪殺人事件を起こすと、さらし首とすればよい。人間社会には恥ずかしい、恥ずかしさ、殺人事件を起こすと自分の首がさらし首になると知ればどうだろう。特に日本は殺人現場を映像では流さないし、一般には公表しない向きがある。生々しい現場は見せない方が良いとする社会である。ところが外国では沢山生々しい現場を映し、目をそむけたくなるような映像が流れてくるのも事実。事件を起こした若者は、
どうだろう、ワイドショーを独占したかったらしい、このような無差別殺人事件を起こしたら恥ずかしい社会にする事だ。

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