その昔、瀬戸内の海は凪だった。
今から60年前の話。人口3000人にも満たない漁師町で私は生まれた。漁をよく身振り手振りで教えてくれた父は、私と長男の六三と兄弟仲良く漁師になることを望んで25年前にこの世を去った。父は聴覚障害者で私と手話で話すも、手話は我流で正式な手話ではない。でも意思は良く通じる。
45年前、漁師がいやでいやで逃げるように田舎を捨てて出てきた私だが、なぜか田舎が恋しい(ここ15年田舎には帰っていない)。なぜって、みなさん上関原発と言うのを聞いたことはありますか? 中国電力が進めている原発です。その原発をのどかな田舎の漁師町に今から25年前にスタートして作ろうとしています。現状は推進派、反対派、と町が二分しています。私は反対派で兄貴は推進派、中電の原発問題が出てくるまでは兄弟仲がよかった。田舎は海がきれいで景色もよく、家の50m先は海、そして何より魚が美味しい。
昨年の東日本震災、福島原発で被災し、仮設住宅生活を余儀なくされている地元住民の問題は大きい。やっと私の田舎でも反原発に傾いている。願わくば兄貴の気持ちも変わって、昔のように仲良くしたい。
私は田舎を捨てた人間ですが、原発問題がどれほど私にとっても大きかったことか。人間は愚かです。その時代、その時代に翻弄され、気が付いたらもう遅い。両親にも何もしてやれなかったことが悔やまれます。
0 件のコメント:
コメントを投稿